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【12/27】 あらわれるために。

 
 2013年ももう終わるのですね。久々に日記の筆を執ります。
 サークル休止の宣言からまだ一年を過ぎないというのが、少し意外な感じ。
 
 小説はもう長いこと書いていません。
 あれから何度かはテキストファイルを開くことがあったものの、
 その頻度もいつの間にか緩やかに減って、
 風呂場やトイレで新しいネタをふと思いつく、なんてことも無くなりました。
 小説を書けなくなったことに落ち込むことも、
 このスランプから早く脱却してやると意気込む気概も、どこにあったやら。
 書きかけのまま残る作品も、当初練りに練っていた目くるめく後続の展開が
 どんどん記憶から薄れていっています。
 (これに関しては、ちょっと惜しい気がしているところですが……)
 
 私が大方十年来、特別な趣味として特別扱いしてきたこの創作活動は
 特別扱いするに足りない、数ある私の趣味と同列のひとつ、
 一方ならぬ愛着もあれどその枯渇もちゃんとある、普通な代物だったのかも。
 小説に傾けていたあれほどの情熱は自分にとっての一体何だったのか、
 こうして見失ってみるとよく分からなくなるものです。
 加えて言えば、今でも何かの気まぐれで書けそうな気がするのも不思議だ。

 まあ、今が本当に終わりと呼ぶべき終わりなのかまだ分かりませんが、
 確実に終わりもあり得るのだと、これまでになく身近に実感してます。
 明日から小説を書くのは一切禁止、と、例えば誰かに命令されたとしても
 今なら粛として私は従い、きっと文句のひとつも言うことはないのかなと思う。

 同人創作を通じて得てきた興奮、歓喜、醍醐味、やりがい、充実感。
 百花繚乱の舞台に抱いた希望や共感、仲間への尊敬や応援、羨望、ときに反発。
 それらがすべて、今ではまるで他人事のように取り扱える。
 愛すべき同人世界の熱狂も、愛玩も、礼賛も、研鑽も、激論も、すべて外の世界。
 その気になればシャットアウトできる世界だと知覚して、もう骨身にも響かない。
 
 例えばプロ野球の贔屓西武ライオンズにしてもそう。
 勝っても負けても私の生活には関係ない。
 小説より前から取り組んできたカメラ趣味の風景撮影にしてもそう。
 綺麗な写真を撮ったって、自分が眺める以外に用途はない。
 最近いろいろと歴史など研究していた大相撲にしてもそう。
 集めたその知識が何かの役に立つことなんて無い。
 面白いアニメも漫画も小説もそう。
 観れば読めば面白いけれど、TVを切れば本を閉じればそれっきりの虚構世界だ。
 
 何もかも、その気になれば我に実害なくシャットアウトできるものばかり。
 なんなら諦められるものばかり。
 それで落ち込んでるのかと思えば、しかしそうでもない。
 言うまでもなくこの手の考え方は真理であり、かつ詭弁であるのでしょう。
 趣味とはことごとく自己満足の代物だ、なんて言い古された言い回しだし、
 いわば自己満足「でしかない」と表現してしまう今の自分をこそ、
 寂しがるなら寂しがるべきものと思うけど。

 どこかに必要とされるでもなく、誰かのために生きるでもなく、
 仕事に行けば自分の非生産性をなんとか埋め合わせるための時間に追われ、
 果たすべき責任も果たせず、余暇の楽しみも見いだせず、
 誰かの役に立った実感もなく、必要とされている手応えも感じられない。
 私が私のためだけに存在している。
 そんな境遇で知らず知らず、私は小説作りに慰めを求めていたようです。
 小説は私にとって、私が私のため以外にも存在することを確かめる手段だった。
 果たして小説作りをやめてしまった自分は、やめてしまってから初めて、
 それが小説作り以外のものも失う選択肢だったのだと気づく羽目になった。

 すみませんね、こんな誰も求めてない話を……。
 このくだらない述懐に、共感を求めてる訳ではないです。
 共感してくれる人が居てくれたならもちろん嬉しいですが、
 共感してもらったところで私も貴方も幸せになれる訳じゃない。
 こんなウジウジと湿った私みたいな人種が幸せになるには本来、
 自分が自分のため以外にも存在することを、自ら立証するより他がなかった。
 それがたとえ、自己満足に過ぎない趣味の領域を用いた立証だったとしても。

 いつの間にか私の中から、人生に充実感を覚える機会が無くなっていました。 
 今は一瞬一瞬の出来事にはしゃぐことはできても、
 それが無意味だ、空疎だと感じる瞬間がすぐに来てしまう。
 小説を無理にでもこの手に戻したらそれで全て元に戻せる、というなら楽ですが
 そんな気もしないし、そもそも取り戻すことが結局できていないし。
 虚しいし切ないし、なんなら自棄にもなれるし何もかもシャットアウトできる。
 そして心の底から寂しい。
 日によって深浅の差はあれ、ここ最近は毎日それを思っています。


 
 自分は今から何をすれば自分の人生に掛け値無しの満足を得られるのか、
 それが今のテーマであり、つまり2014年のテーマになろうものです。
 寂しすぎて虚しすぎてそのうち、自分が衝動的に何かやってしまうのではと、
 今は我ながら少し怖くもある。
 偶然でも運命でも、納得ずくで寂しがりの自分を埋めてくれる何かを、
 あの小説作りよりも確かな何かを、見つけて定めるよう自分に課すのです。
 それを最早隠しようもなく求めている自分自身にも気づいているし、
 この独りよがりかつ他者依存性の強い探求がやはり、
 私の生来の寂しがり気質に、合っているような気もするのです。
 (創作を通じてできた素晴らしい友人を蔑ろにする意味ではありませんよ)
 (願わくば少し時間を置いた後、また楽しくやっていかせていただければ)
 
 実にくだらない話ですが、すでに答えは朧気に出始めています。
 答えであって解決策ではない、というのがポイントですけども。
 小説にのめりこんだ時間が無駄だったとは思いません、
 ただやはり、自分が二十代を過ごす中で小説作りに託していたものって、
 きっと一趣味に担わせるべきものではなかったんだと思うのです。

 後から恥を上塗りしたくないので今はまだ、それを明確な言葉にしません。
 そしてまあ、こんな幼稚な気の迷いでもいずれ晴れることがもしあるなら、
 つまり私の住まう場所を根本から新築してくれる「幸運」にもし恵まれるなら、
 小説の続きを書く気になることも、ひょっとしたらあるかもしれないです。
 私の内面は生来、無関係な事柄同士における連動性が非常に強いのだ。
 悪く言えば悪循環に陥りやすいけれど、反面イケイケで波にも乗りやすい。

 小説単体を杖にして立ち上がることはちょっとできそうにないものの、
 自分に恒久的な折り合いを付けた上で、作り手として、人間として、
 全体で歩調を合わせて一歩成長して、小説作りの世界に戻ってくる。
 とてもとても上手すぎる話ですが、上手すぎる分憧れてしまう。
 是非そうなったらいいな、と思いますね。
 そうなった時の自分はきっと、ものすごく幸せな顔をしてるんだろうなと思う。
 
 それが今の私のテーマ。
 生きることが幸せであること。
 洗われて現れる、みたいな、生まれ変わるような何かを求めたい。
 どんな形になるかは分からないですけども、
 来年はきっと、この一言をお守りにする一年になりそうだと感じています。
 


 最後になりましたが、冬コミには行きません。
 
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