スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【10/15】 感想について

 
 本やアニメの感想を書くのは、正直言って苦手です。
 
 一時期停滞していた読書量がここ最近復調の兆しで、
 ともなってこのブログにも感想をつらつら載せるようになりましたが……
 読書感想もある種の創作だと思い続ける私にとって、
 良い感想の書き方、すぐれたレビューの表し方、それらの答えは
 れっきとした一つの技術であり、未だ習得を実感できずにいます。
 
 少し昔話。
 創想話で感想を書き始めた最初の頃……加えて言えばそれからしばらく
 こんぺで採点したり、あるいは他人の同人誌に感想を書き寄せはじめた頃、
 今とは全く違う意識で感想文を書いていました。
 どこがどう違うか、というと何から何まで違うのですが
 一つハッキリ言えば減点方式の感想文です。
 有り体に徹して言えば、マイナスの要素に比重を置いた感想文です。

 遠因はあるのです。
 ときには忌憚のない書評として求められたこともありましたし、
 こんぺであればそのイベントの性質(品評会)がそうさせました。
 創想話の「実質的減点方式」の採点に馴染んでいたのも影響されましたし、
 ともあれ批判的な論調で書くことに当時そう抵抗がなかったのです。
 
 ただ、私にとってはこれが大きな間違い。
 当時の読書経験など雀の涙にも足りない有様で、
 なのに周囲をまねて見るべきところを見てズバっと――なんて、
 間違った憧れがすべての間違いだったのです。腐れ外道です。
 そういうことを繰り返すうちに、今思い返すのも腹立たしいのですが、
 読んだ作家すべて親の仇敵なのかと言わんばかりの悪辣な感想を
 力の限り濫造するようになっていました。
 我ながらあの頃の感情は、どうにもよく分からない。
 
 その後少々苦い経験も経て、私は今のような感想を書くに至っています。
 実際にはその過程でもういくつかの紆余曲折がありましたが、
 感想を書き始めて数年目、ここ最近はようやくですが、
 思ったことが素直に文章へ化けるようになってきたと実感するところ。
 ようやく今日の主題になりますが、
 自分が思ったことを率直な文章にするのは意外と困難なものです。
 
 
 その点、確かに、周りの人はもっとスマートに感想を書きます。
 肩の力も抜けているし、それでいて名作は名作と伝わる書き方をする。
 そういう多くの人から見て、私の感想文はうるさく映るかもしれません。
 幼稚に映るかもしれません。白々しく映るかもしれません。
 申し訳ないですが、私の感想文はしかし目下これで精一杯なのです。
 
 また少し余談。
 小学校の読書感想文や国語のテストが好事家の批判に晒されて久しいですが、
 私は読書感想文の宿題に一定以上の恩を感じているのです。
 私は小学校時代、いくつもの読書感想文の賞を取った経験があります。
 あの頃は今に近い感想の書き方をしていたと思います。
 というか、今があの頃に近い書き方を心がけているというか。
 あのとき私は、自分の読書感想が正しいと評定されたことを誇りに感じ、
 今さら極めて馬鹿馬鹿しい話ですがあれで少なからず自信を得たものです。
 
 と、こういう書き方をすると「正しい感想って何よ」と
 主に大阪の方角より文学ヤクザの不機嫌な声を空耳に聞くことができますが、
 正しいとはつまり「間違いでないこと」。
 この「間違い」がどこに起こるかといえば、感じたことそのものではなく、
 感じたことを客観的な文字の形でアウトプットするその過程なのです。
 人が本から感じたことに他人がケチをつける余地はないけど、
 人が本から感じたことを正確に出力できていないなら
 他人のそういう介入を容易く許してしまう余地が発生する。
 それがテクニカルな支障ならまだしも、メンタルだから尚更である。
 私が痛恨極まれる未熟を晒し、恥じてきた部分こそは「素直さ」、
 簡単にして難しいその一言に尽きるのです。
 
 読書感想文に正しいも間違いもない?
 間違いとして正されてしまうことが子供にとって損失?
 私のような凡俗には、その一定の基準がありがたかったのですよ。
 私の感じたことが正しかった、というよりも
 私の感じたことを正しく伝えることができた、という喜び。
 感じたことはまあ正しいだろう、という変な自信もありましたし、
 差がついて評価されるならそれは表現だろうとどこか悟っていた。
 
 たとえまやかしだったとしても、国語の真髄に不敬だったとしても、
 自己表現って要はそれ作文能力じゃないか、と言われたとしても、
 どうも薹が立つと共に性格がひねくれてよじくれていった私にとって
 本から感じたことを「素直に」表現する読書感想文は「宿題」でした。
 だから今になって帰納的に、小学校時代の経験は意義を持ったのです。
 こういう不器用かつ頭の悪い人間もいるのですよ。
 
 力を入れて無意味に身構えた読書を続けた結果、
 評価だからとか、点数だからとか、こんぺだから何か言わなくちゃとか、
 いろいろ雑念が混じりに混じりすぎて、あのふざけた感想を濫発していた。
 創作の黒歴史に乏しい私には、むしろそっちの方がよほどの黒歴史です。
 
 
 こんなこと、多くの人に理解されない感覚であろうことは承知しています。
 これって一言で言ってしまえば、まあ私の背伸びだったのですから。
 ただ、読書家が思うほど読書感想文は簡単なものじゃないんだってことは
 私はささやかながら今、主張したいのです。
 その力は皆さんが膨大な本と幼少のみぎりから向き合ってきた結果であり、
 例に漏れる余人をもって簡単に真似できるものではないということ。
 いかに文面白々しかろうが、私にとって感想を書くのは難しい行為であり、
 いかに始終薄っぺらく見えようが、私の感情表現は現在ああなるのであり、
 ピアノ弾ける人が「エリーゼのためにとか入門曲じゃん」と言ったって
 弾けない人は簡単にゃ弾けない……それと同じ事なのであり。分かってね。
 
 
 
 ……はい、壮大な盛大な言い訳タイムでした。
 連日小学生並みの読書感想文を垂れ流して少々気に病んでるのですが、
 実際、手一杯目一杯なのです。本当に勘弁してくださいませ。
 
 あ。
 ちなみに批判を書かなくなった理由ですが、不感を貫いているのではなく、
 ただ批判的な内容が読後の頭に残ってることが実際、少ないからです。
 気持ちが変わると、本との向き合い方そのものが変わるのですね。
 今は単純に、欠点があったとしてもさほど気になりません。
 ですから、感想を書くときにそれをわざわざ掘り起こさないだけです。

 コイツ何かどんな本でも讃辞ばっかり、と思われていそうですが、
 心さっぱりして以来、読み終わった後は基本そんなものです。
 これは私の自己変革において実に数少ない、希有な「成功例」です。
 今は本を読むのが楽しくて仕方ない。
 小中学校の頃に、何となく今更ようやく戻って来れた気がします。

 昔つくしさんに「作り手になると永遠に、純粋な読書家たる地位を失う」
 ――なんて知ったような口を利いたことがあります。
 今もその気持ちはどこかで変わっていませんが、
 当時ほど否定的な意味でこの言葉を使うことは二度と無いでしょう。
 

 あ、本当につまらない本であれば感想に至らないと思いますし、
 でもある程度他人の評判もありきで本を選んでいる私の場合、
 投げ出すほどつまらない本になどそうそう当たらんものなのです。
 忘れてはいけない要素。

 そしてもちろん「気に入った」と一言で書いてもその程度差はあるので、
 強いて言えば、たとえば感想のテンションなどで
 客観的にもある程度測っていただけるのではと思います。
 それさえも感想を書きやすい作品かどうかによって
 簡単に左右されるファクターではありますけれど。
 

 はい今度こそ本当に、コンプレックスの垂れ流しは終わりにしましょう。
 ……最後にその上で言わせてもらうと、あんな感想文でも本の魅力が
 ほんのちょっとでも伝わっていれば、もうそれに勝る幸せはありません。
 今後も可能な限り、私なりに精一杯、
 その本の魅力を表現することに努めていきますのでまたどうぞよしなに。
 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

リンク
プロフィール

< リンク等はサイトの方へ!

Author:< リンク等はサイトの方へ!
FC2ブログへようこそ!

FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事
検索フォーム
QRコード
QRコード
月別アーカイブ
最新コメント
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。