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【2/23】 物語の自由度確保に関する希望的観測

 
 このツイートにある記事を見たのが、長文日記の動機。
 
 一応最初に断っておくと、個人の好みにケチをつける気はありません。
 作品の楽しみ方は、視聴者の数だけ種類があって良いでしょう。
 ただ主に個人的な感情の部分から、ブログの場で主張しておきたいこと。
 
 その作品がつまらなかったと思ったのは、
 ギャグ展開からシリアス調へと急展開したことが本当の原因なのか?
 急展開したこと自体ではなく、急展開した先の展開が自分にとって
 まったくつまらなかったことが、作品をつまらないと思った原因ではないか?
 
 まだるっこしい書き方で申し訳ない。
 ただ同じことのようで、この二つは全然違う。
 後者は作品単体の不出来、あるいは相性の問題だと捉えられる。
 でも前者は物語の構造自体の欠陥……ギャグ作品にギャグならざるパートが
 挿入されたことに問題がある、という考え方のように私は思いますが、
 どうでしょう?
 
 この点を、読者側・作者側の二点から考えておきたい。
 
 まず読者として主張したいのは、物語構造において「欠陥」という概念は
 定義上そもそも存在しないはずだということ。
 あるのはトレンドとマイナー、王道と型破り、質実堅固と奇想天外。
 最初に犯人の正体を明かしてから進める推理小説だってあるでしょ?
 単純に言って、物語かくあるべきという形はないはず。
 あってたまるか、もったいない。
 
 ギャグ作品は笑うために読んでるんだ、ギャグ以外お断りだ!
 というのであれば、それは相性の問題なわけです。
 物語の構造自体にケチをつけて、不要とか誰得とか言い切っちゃったら
 それはやっぱり、角が立ってしまうでしょう。
 
 今をときめく作品だって、前例や常識に囚われない物語として作られて、
 結果新境地を切り開いて今があるのですし。
 
 ◆
 
 んで次に、作者側として主張したいこと。
 ギャグパートからシリアス調に変わってウザイ、と言われたとき、
 ああギャグ以外NGだとか言われてしまった、批判されてしまった、
 笑えない部分はもう邪魔でしかないんだ……と、感じてしまう?
 我の強い人なら、ギャグをちょっと離れて真面目な展開になりゃ
 すぐシリアスイラネだのウザイだの、この無教養なゆとりどもめ!
 とまで思ってしまう?
 しかし当然、これはやはり良くない。

 創想話で現役で書いてた時代からずっと主張してきたことだけど、
 すべての批判は「作品がつまらなかった」という一点に立脚している、
 というのが私の考えです。
 創作は自由なはずなのに、こうあるべきだなんて何故責められたのか?
 それはつまるところつまらなかったから。
 責められたセオリー自体が悪いのではなく、
 そのセオリーを踏襲したお前の作品が結果として超つまらなかったから。

 読み手から作り手へ寄せられる批判は、
 こうして常に作り手本位への翻訳が必要だと思っています。
 批判者が総論、マクロで語っていたとしても、結局は各論に読み替える。
 「シリアス系パートはイラネ」と言われたのなら、
 それは作者の組み込んだシリアス系パートが悪かっただけの話。
 寄せられた批判文章だけを見て額面通り判断したり、
 その結果価値観の違いや世代格差に批判の原因を求めてみたり、
 まして受け手の批判に対して作り手が反論するなんてとんだ御法度。
 少なくとも最近の私の中では、これらは有り得ない行為です。

 こんな批判意見に耳を傾けるのがどうしても業腹だ! となれば、
 せめて「相性が悪かった」くらいに思っておきましょう。
 
 ◆
 
 ……という二面からの意見を冒頭のスレになぞらえる形で一つに統合し、
 できあがった私の主張はこう。

 「何かの作品がつまらなかったなら仕方ないけど、
  物語の作り方にまで是非をつけないでほしい」

 創作の可動域を狭められるような意見は、頭では理解していても
 見ていて窮屈だし、何より切ないのです。
 ギャグ作品はギャグ以外禁止、真面目で重たい話は棲み分けすべきなんて、
 そりゃ人の意見がそうなら否定はできないけど、
 その意見が主流になってしまったら率直に言って私は、寂しい。
 
 ◆
 
 長々と書いてきました。
 とはいえまあ、勘の鋭い人ならもうお分かりかと思います。
 今まで書いてきたことは、簡単な一言のもとに台無しにできる。
 私は同人の世界にいるので、この意識がまだ強く実感できる立場かな。
 
 作り手が受け手を縛れないのと同様、大衆意見も作り手を縛れません。
 
 作られるものは作られるんですよ。ちょっと人気の起伏があるだけで。
 これ当たり前ですが、読者を見下してるのではありませんよ!
 創作をする人なら九分九厘、創作に決まった正解なんてないことを
 理解し、実感しているということです。
 作り手はパイオニア意識を持ち、受け手がどんな意見を主張しても
 最後は自分の創りたいものを創る決意へと収束していく。
 
 そして、それが例え少数でも受け手に受け入れられる作品だとしたら、
 決して世から理論的な手段で排斥されることはない。
 
 ここまで長々と話してきたのに、結局「生まれる作品は生まれる」という、
 作り手にとっては救いあふれる結論しかない。
 仮に受け手が、作品かくあるべしとコンセンサスを形成したとしても、
 それとて永続するものではない。
 トレンドが形成され隆盛を迎え、やがて衰退し、違ったジャンルが台頭する。
 そのジャンルもやがて世代交代の波に押される。
 また次のジャンル、その次、時にはリバイバルとして再び脚光を浴びたり。

 流行に乗っかった作品を出す人がいるのと同じように、
 その合間を縫い、「自分ならではの創作物」を目指して、
 真新しい作品を世に供給する作り手も半永久的に存在していくはずです。

 すべてを総合すると、作り手というのは遍く理不尽な強要に接しても
 謙虚に、かつ強靱に受け入れ、ひたすら「面白い」を追究する立場

 そういうことになるのかな、と思います。
 
 ◆
 
 今回の件は、中二病の批判意見を見聞きしてから
 最近ずっともやもやしてたことでした。
 取りも直さず自分は、あの作品を前後半通じてとても気に入っていたので。
 それに関しては個人的な感想なのでどうでも良いですが。

 長い日記の中で、語り切れたのかは分からないです。
 そもそもシリアスってどういう定義? とか、 
 地味にそこも議論の的だったりしますからね。
 
 まあ、漠然とした不安を感じたというのが
 この日記の主な動機だったと思います。
 だからここまで書いてきたのも、本当は「希望的観測」かもしれない。
 怖やこわや。
 
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