スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【5/2】 今日は自分の話だけ。

 忌 野清志郎さんが亡くなった、というYahoo!トップニュースにちょっと驚き。
 存在感の強い人でしたが、そういえば、病気療養という話を聞いてました。

 個人的には最後まで好きになれないアーティストの一人だったのでご冥福がどうとかは言いませんが、ある種で日本のロックの一側面を担った火が一つ消えたのは事実かなと思います。
 生命力や情熱の真髄を剥き出しにさせてゆくような創作体系は、受けるも作るも嫌いな私。一方でそこにロックの真髄があることも、薄々は分かっています。
 私は、所謂「御行儀の良い」作品が好きだということです。
 日本の、というか全般的にロックそのものにイマイチ馴染めないのは、そういう理由がある。

 

 そういえば彼なんかは、創作物・創作行為にある程度の社会的メッセージを込めていた。
 私はあくまで素人同人物書きなのでここからはあくまで持論として書きますが、世に出て行く創作物に社会的メッセージを込めるのは、たぶんさほど難しくない。
 例えば思いっきりスケールを矮小化させると、私らの同人誌でメタネタをやるような容易さ。
 とても簡単。

 ただそこに、痛快さがあるのを私は嫌う。
 彼のように、こう言っちゃ何ですがわざと斜に構えて毒づくような行儀の悪いマネを私は蛇蝎視し、例えば世の哀しみを静かに歌い上げるような、良く言えば耽美な社会風刺を愛好する。
 それは唄に、或いは創作に、社会を変える力なんて無いと最初から信じているから。

 但し、人を変える力はある。
 だから、ただ毒づくだけのような社会風刺は嫌い。そこから人に還元してゆく時初めて、風刺の創作物は意味を持つと信じている。そういう創作だと、自分の近いところにすっと哀しみや悔しさが降りてくる。
 全体規模の社会、どうにも手が届かない政治や国家問題を「痛快に風刺」しただけで終わるのは、楽なところから指さして手軽に嘲笑しているだけに過ぎないのではないか? ……とまあ、それが私の想い。
 これは別に、忌 野氏だけを論ってる訳じゃないです。
 最初に書きましたが、あくまで私が生きてきて・素人創作やってて、感じたこと。社会を嘲るだけにしか見えない創作物を、どうしても「低俗」として見てしまう私の習性の話。



 以上、今日はちょっと尖ったことを書いた日記でした。
 亡くなった日にこういう日記もどうなのかと思いましたが、高名なアーティストが亡くなった時に書く日記として、これも一つの在り方かなと思ったので。
 忌 野氏を好きな人は、それはそれでその人なりにどうぞって思ってますので、そこはどうかご了承を。  
 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

リンク
プロフィール

< リンク等はサイトの方へ!

Author:< リンク等はサイトの方へ!
FC2ブログへようこそ!

FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事
検索フォーム
QRコード
QRコード
月別アーカイブ
最新コメント
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。