スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【5/11】 自分の文章を冷静に見直してみて

 最近色々と、思うことはあるのですけども。
 原稿とか最近のあれこれで、炙り出されてきた自分の稚拙さ。

 文章に限らない、スポーツでも同じですが、色んな事が出来るようになればなるほど多すぎる物事が見えてしまうもの。
 何も考えずに心の中を思い付いたままの日本語に削り出すことこそ、やっぱ一番なのですよ。
 と、また某氏に逆らうようなことを言ってみる。

 

 ちょっと前に話そうとしてやめたことだけど、語彙というのは文章力ではなくて手段なんですよ。
 言いたいことを言う時に、語彙があればより適切なニュアンスで伝えることが出来る。或いは近いニュアンスの中で、より文章リズムに合致する単語を選択できるとか。
 そういう意味で、人の本当の「語彙」は、その人が知っている単語量より常に少ない。
 「語彙力」とは、知ってる単語の量じゃなくて、適切な単語を適切な場面で使える能力のことだから。

 そういう意味ではSSにも限らんのですけどね。日記にしても、日常会話にしてもそう。
 そして前に書いたことと矛盾するようだけど、伝えたいことが山ほどあるとき、敢えてそれを削ぐ勇気が必要な時もある。
 私の持論ですが、読者の心に残る読後感は、常に読者自身の言葉に置き換わってると思うのです。
 作者の言葉もすべて道具になって、読者自身が形成する言葉の栄養になる。 
 その時、作者が自分の考えたことをみんな文章にしてしまっていたら、読者が自分の言葉を見つけるのに困ってしまうかもしれない。
 言いたいことを全部先回りされているその作品に、息が詰まって窮屈さを感じてしまうかもしれない。

 人へと伝わる本当の事柄とは、行間からじわりと滲み出てきた一滴を読者が掬い上げたもの。
 日記にしてもそう。会話にしてもそう。書きたいことを全て書けば良い訳じゃない――そう分かっていて私も、よく百パーセントを書きに行ってしまったりする。
 鬱陶しいですよねぇ。ある意味ではその辺が、経験を積みすぎた弊害でもある。
 書き手は百パーセント書いちゃいけないと思います。
 そして強いて言えば「純文学」と称される古の名著は、その辺の匙加減が真髄なのだろうと私は思う。



 読者は常に、作者には見えていない作品の世界を眺めているのだと思ったら間違いないです。
 その世界に正しいとか間違いとか言葉を冠するのは野暮。本当の物語のページは紙で出来ていない、読者の瞳の中にだけ存在している。

 この手を離れ、読者に渡った時に物語は物語になる――それをもっと感じられたら私も、今よりもうちょっとは、面白い書き手になれるんじゃないかなと思いますけどねー。
 という、今日は夢のお話でした。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

リンク
プロフィール

< リンク等はサイトの方へ!

Author:< リンク等はサイトの方へ!
FC2ブログへようこそ!

FC2カウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

最新記事
検索フォーム
QRコード
QRコード
月別アーカイブ
最新コメント
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。