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【12/27】 書評『KAGEROU』 齋藤智裕

 
 たとえばファッションショーが開かれている、とします。
 舞台は煌びやかな七色のスポットに彩られており、
 コンペティション制で、どのデザイナーが栄誉に輝くか
 日本中の人が注目している……と、します。

 

 『KAGEROU』読了。今思えば、どうしてこのタイトルだったのか
 「何となく」以上には分かりません。つまり、よく分かりません。
 陽炎の朧で覚束ない、儚げなイメージから、
 この言葉を本作のタイトルに乗せたのでしょうか。
  
 単調で扁平で、飾らなくて素直な表現。
 無味無臭で素っ気なく、質素で淡々とした文章。
 演出など考えずメッセージ性を荒々しく削りだした率直さ、
 極めて機能性だけに特化したストーリー。
 隅々まで、私が想像していたものに近い小説でした。

 なぜなら今まで文筆業とは恐らく無縁、されど俳優という身空の中で
 いくつかの他人を演じ、他人に「没入」することを生業として修めてきた。
 ……とまで言うと買いかぶりかもしれませんが(ぁ
 そういうちょっと変わった人生を生きてきた若い人が、
 もしも「小説」というものを書いたら……やはり、こういう形になるでしょう。
 何ひとつ、上手なところはない。
 けれど何ひとつ、有ってはならないところも、ない。


 
 自殺の場所を探し求める、さながら潰れたタバコの箱の如き主人公と、
 何とも事務用品のように、整然とした男性の出逢いから始まる物語は、
 少しファンタジーを織り交ぜながら主人公の心情へアプローチしていく。
 読者は、主人公が持つ手垢のついた凡百なお悩みに大いに歯を浮かせる。
 「こんなテーマで悩まれてもなあ……」。命の素晴らしさがどうとか、
 生きていると美しい物が見えるんだよ、とか。

 もしも読者が自殺を求めていなければ、目に入る感情は通り一遍極まりなし。
 従って主人公の言葉も、事務用品の男性の言葉も、その他の人物の言葉も、
 なかなか読者の心に触れてくることはない。

 ある少女が主人公に運び込んだ一条の光明も、
 在り来たりな「生きていることの素晴らしさ」を伝えただけで馳せる。
 ひたすらに「当たり前」のことが、淡々と綴られていくのです。
 千変万化の言の葉が、雅やかに朗々と歌い上げるでもない。
 巧みなギミックなど一切無い。
 膝を打つストーリーで、活字の中へ引っ張り込むような文学的な膂力もない。

 本を持つ手は震えることなく、淡々と語られる主人公達の言動を、
 ごく当然のレールを進みゆくその心理を、物語を、ただとぼとぼと追い掛ける。
 主人公に絆され応援する気になることもなく、
 自殺願望も何もない我が心は決して何の答えも返さず、
 レールを走る電車を街角で眺めるように、ページをめくる。
 

 
 例えばの話。ここにファッションショーがあるとします。
 コンペティション制で、どのデザイナーが栄誉に輝くか
 日本中の人が注目している……と、しました。

 ――そこで栄誉に輝いたのは、
 白いポロシャツにジーンズ、スニーカーという出で立ちを提示した、
 ファッションのことについて経験も知見もかなり乏しい人でした。


 
 どうでしょうか。
 この小説を今、手放しで礼賛すれば、私は自分に嘘をつくことになる。
 もっと胸を打たれた物語を私は知っている。もっと舌を巻いた物語があった。
 稚い技術と凡百のメッセージに縁取られたこの作品を、
 だけど最後に纏め上げてくれたのは、ただひたすら誠実な、
 この物語の「愚直」さです。
 
 ……先ほどの話。
 ポロシャツにジーンズという出で立ちは、当然のことながら、
 決して間違ったファッションという訳ではないのです。
 しかしながら、衣裳の美的センスを追求したコンペティションで、
 トップ1という栄誉をポロシャツが受賞してしまうのは「正しい」のか?

 作者は恐らく若いツバメと持て囃されて生きてきた二十数年の中、
 自分が感じてきた「命」の重さ、生きて目に見えているもの、
 歩いて耳に届くものの美しさを知って、このつたない小説に詰め込んだ。
 「ポプラ社文芸大賞」というどでかい月桂冠が当て所ない栄誉を指し示し、
 以て読者の猜疑や、憤怒や、失望、つまるところ批判を掻き立てようとも、
 少なくとも私はこの作品を愛せました。

 いずれ忘れゆくであろうほど平淡な物語の中に、
 「斎藤」さんが届けようとした言葉はそれでも、ダイレクトに鏤めてあった。

 面白いか、面白くないかは読んだ人が決める。100点はつけられないかな?
 上手か下手かで言えば……ゴメンナサイ。でも、それはしょうがない。

 必要のない金看板を抱え、1億の矢面に立った作品を僅かに救ったのは、
 繰り返して書きますがやはり「真面目」さ、「誠実」さ。
 世を拗ねて格好つけてみたり、玄人ぶって悪達者になってみたり、
 小説の中に「水嶋ヒロ」を滲ませたりすることが一切なかった。

 作者を小説へと駆り立てた「もの」は、一体何だったのか。
 それが分かっただけで、私はもう他に何もありません。
 この感想に書き添えて漏らすべき不平は、私はもう持ちません。
 されるべき批判は、人それぞれの読み方の中で、
 遅かれ早かれ生まれる筈。でもそっちの方に、私の興味はありません。
 


 私はこの小説を、忘れない名作とは呼びません。
 若手俳優がその御立派な足場をフイにして書き上げた小説の中に、
 籠めてきた率直なメッセージを私はひとつかみ掴み取り、
 深層に届かない浅い共感の中から自分なりの「命」への考えを、
 少しだけ深く、たった五秒か十秒だけ考え、
 そして最後の一ページを閉じ終えて、
 「KAGEROU」という小説は私にとってのフィナーレへ到達しました。
 
 感動の涙には打ち震えませんでした。
 閉じ終えて裏表紙を眺めていたら、思わずほっと頬を緩めてしまうような、
 ストーリーと関係ない温かな想いをしました。
 敢えて言えば、「嬉しい」に近い感覚でした。

 ファッションショーのことは、私よりずっと知悉した誰かが語るでしょう。

 その人の脳、心が生みだす物語は、
 たとえ上手くなくて、辿々しくとも、決して他に代わることのできないもの。
 どこまでもその人にしか作れないものに出逢えるということは、
 ただそれだけで、必ず「嬉しい」ことだと私は思っています。
 
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